スマホと共に生活している方へ【書評】ウェブとはすなわち現実世界の未来図である

※この記事は新卒で入社した会社の課題で書評を書いたものでした

Google検索を使わない日はあるだろうか?

私にとって、答えは「NO」だ。
スマートフォンを持つ方の多くが「NO」と答えるのではないか。

もし、何かわからないことがあればまずは「ググる。」
一昔前にはありえなかったことだ。ガラケーの時代には検索機能はあまり発達していなかった。

この異常なGoogleを初めとするウェブへの没頭にどこか違和感を感じることがある。

もちろん、情報へのアクセスは早くなったし、超絶お洒落エスニック料理屋の予約を取りたい時もすぐにそのお店の電話番号が入手できるのは本当に便利だ。(そんな場面あまりないが。笑)

本書評は、スマホと共に生活している人に是非とも読んで欲しい。
きっとどこか共感できることがあると思う。

「祐天寺 めし」 違和感を感じたエピソード。

会社帰りに東急東横線に乗っていた時の話だ。

隣に座る三十路街道まっしぐらな男性が(見たくて見たわけではないのだが)

「祐天寺 めし」

というワードでGoogleに検索をかけていたのを見たて、少し可笑しく思ってしまった。
スマホは、ご飯を出してくれる、奥さんでも、お母さんでも、飲食店でもない。

「めし!!」

という言葉は普段何気なく使う言葉であるが、遂に器械に向かって使う言葉になってしまったのかと思うと、どこか可笑しい。

「祐天寺 グルメ」とか「祐天寺 イタリアン」という言葉だったら違和感はなかったのかもしれないが…。

こんな小さな出来事だが、私の頭の中の違和感をスッキリとさせてくれたのがこの本だ。

ウェブとはすなわち現実世界の未来図である (PHP新書)

ウェブとはすなわち現実世界の未来図である (PHP新書) [新書]

小林 弘人

PHP研究所

2014-03-15

本書の著者は『WIRED 日本版』『ギズモード・ジャパン』『サイゾー』など、紙とウェブを横断して様々なメディアを立ち上げ、日本のインターネットを黎明期から支える人物の一人である株式会社インフォバーンCEOの小林弘人氏。
話題の『フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略』、『シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略』の日本語版の監修もされた方なので、それぞれの概念についてより詳しく知りたい方はそちらを読むのと更に理解が深まる。

小林氏の本書での簡潔に述べると、タイトルの通り

「これまで現実社会を模倣してきたウェブから、現実社会がウェブを後追いする」

ということであり、

これこそが、小林氏が述べる未来だ。
良いか悪いかは別にして、私は非常に納得がいった。

では、どのようにして現実世界がウェブを後追いするのか。本書の内容とともに考えた。

現実世界がウェブを後追いする

ここでもう一度、祐天寺めし事件の私の疑問点を整理する。

1、人々はどんな情報を一番信頼するのか
2、情報が溢れる世の中で、どんな商品、サービスが生き残るのか
3、情報が簡単に得れることはある種の危険があるのではないか

疑問に思ったのは主にこの3点だ。

1、人々はどんな情報を一番信頼するのか

「祐天寺 めし」と検索をしていた三十路街道まっしぐらな男性は
Googleが提示口コミサービスなどを参考にし、飲食店に向かったと勝手に仮定した。
もしかしたら友人の口コミが見れるサービスを利用し、イタリアンにはうるさいヨシヒロ君の意見を参考にしたかもしれない。


あなたのフェイスブック内に信頼できるイタリア料理の食通がいて、ほかの友人たちから「あいつの選ぶ店ならハズれがない」という評判があれば、それは何万人の集合知よりも「強い情報」となって伝わってくるだろう

p31

本書でも触れられていたが、アメリカでは「Yelp」、日本では「Retty」のようなFacebookと連携させることによって実名でグルメ情報をシェアし合うサービスが流行ってきている。


情報の意味は「露出量」から「強弱」へ

p.28

とも小林氏も述べるように、Google検索で、表示される無数の情報の中で人は本来身近な友達などから得る情報の方を信頼する。
そして、実際に会ったことが無い人から得る情報も時には信頼をする。


参加者が「何者か」が問われる。

p.82

フードアナリスト、美食家など有名であったり、その道に精通した人からの情報を人々は信頼するのだ。

2、情報が溢れる世の中で、どんな商品、サービスが生き残るのか

更に、三十路街道まっしぐらな男性は、その後実際に訪れた飲食店の情報をウェブ上でシェアしたと仮定しよう。

恐らく、、

このようにいかにも
「おっしゃれー!!」
「きゃー、私も連れてって!」
というような声を待っているかのようなイケてる写真と共にシェアが行われたのではないか。

共感を英語で「エンパシー」というが、人間同士が接続されたウェブ社会ではエンパシーがとてつもなく重要になる

p.134

共感を得ることによって、人々は満たされ、共感を生む製品、サービスが生き残るのだ。
だからこそ、今日では人々はよりセンスの良い消費を好む。

少し話は脱線するが、

私のTwitterやFacebookのタイムラインで一番多く、
「〜なう」
とつぶやかれているの場所は、「センスの良い」の代名詞とも言える
代官山蔦屋だ。

「代官山蔦屋なう」
「Im at 代官山 蔦屋書店」

との投稿を何度見たことか。

ちなみに、私も同じことをしたことがある。
だって、自分はセンスが良いと思われたいから。←

更に、消費者に選ばれるには商品、サービスの使い勝手も重要だ。

Apple社の話を例に出して、

“スマートフォンという体験を提供するとき、そのプレミアムな部分は、技術的な性能よりも「使い勝手」だったのだ。”

p.128

とあるように、エンパシーを生んだ上で使い勝手も圧倒的によくないと商品、サービスは生き残らない。

3、情報が簡単に得れることはある種の危険があるのではないか

無事に口コミサービスへのセンスの良いシェアも終わり、三十路街道まっしぐらな男性は満足しただろうか。
一人でイタリアンを食べて、ウェブ上で情報を発信しただけで強欲が男性が満足するとは思えない。

一人寂しい帰り道をトボトボと帰りながら、そろそろ結婚したい彼はどうすればいいかを考えていたと仮定しよう。

“生身の人間にとって、ウェブ社会はあまりにも速度が速すぎる。情報は洪水のようにランダムに押し寄せてくるが、人間の生体にはリズムがある。ウェブの速度に置いてかれそうな気分になることも無理のないことだ。”

p.180

自分が得たい情報以上に、情報は溢れている。
モテたい彼はGoogleで、
「イケメン 髪型」
と検索をしたとしよう。
そうすると、約12,900,000 件もの結果が出てきた、一生かかっても、12,900,000 通りの
髪型になることは不可能だと彼は迷ったであろう。

主体的に自分で選ぶ

つまり、情報は主体的に自分で選ぶことが必要なのだ。
そのためには、Google検索をする時も、
「イケメン 髪型 夏」や
「祐天寺 イタリアン おすすめ」
などもう少し具体的な言葉に落とし込むべきではなかろうか。

ホリエモンがよく言うように、思考停止をしてはいけない。

そして、ウェブは結局、手段であることを見失ってはいけない

三十路街道まっしぐらな男性はどうなったであろう。
検討を祈るばかりだ。

最後に、私の話も具体例として出させて頂く。

以前、「Trippiece」というウェブ上で同じ指向を持つものが集まるサイトがあり、私もハロウィンマリオカート企画に参加したことがある。(下が実際の写真)

ウェブを使ったのはあくまでも手段であり、本当の目的はハロウィンを楽しむことにあった。
結果、残る思い出は、当日渋谷のスクランブル交差点などを爆走した最高の思い出ばかりだ。
ウェブ上でやりとりをした過程の記憶など微かなものでしかない。


本当の人生はインターネットの外にある。知性も、文脈もネットからは手に入らない。

何かを見つけたいと思って検索しても、ウィキペディアやQ&Aサイトに載っている情報には間違いも多い。必要な情報が見つからないのは調べ方が下手なのではなく、インターネットが不完全であり、リアルと仮想が左右非対称だからだ。

p.202

ウェブの力により、様々なもものがシェアされ、確実に生活は豊かになったし、楽しいことに巡り会う可能性も格段に高まった。

しかし、一度肝に命じて置きたいのは「ウェブにも限界がある。」ということだ。様々な機能や、情報をコピーしたりシェアすることによって人々の生活を豊かにしてきたものの、

ネットワークや友だち、経験まではコピーできない

p.194

ネットワークや友だち、経験を作る手段になるかもしれないが、それ以上には成り得ないのだ。

よりよい、充実した人間ライフを過ごしていくために、ウェブを使いこなし、
世界中の人、モノとシナジーを生み出したい。

それこそ、現実社会がウェブを後追いするということなのではないか。

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小林 弘人

PHP研究所

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