双極性障害の何が幸せかを簡単に語る①色んな考えが浮かぶ(複数思考)

今回は辛いことではなくて幸せなのかもな。って思うことを記事に書いてみます。

過去の記事 双極性障害の何が辛いかを簡単に語る③躁状態の過去を思い出すのが辛い

でも少し触れましたが、双極性障害患者には一種の成功体験がこれまでの人生の中であるのではないかと僕は考えています。

僕は23歳です。今年で24になります。若気の至りだよと言われるかもしれませんが、心のどこかで漠然とですが「自分は何かできる。」と信じています。

本当に漠然としていますが、毎日、毎分のように考えは変わりますが様々なことを思いつきます。

これは億万長者になろうとか、高級車を買おうとかそういうものだけじゃないと思うんです。
僕らは心のどこかに強い寂しさと悲しさを抱えている。

これは人に必要とされることで自分の存在価値を見いだそうとするからではないでしょうか。

多分、鬱が激しい時期でも自分を必要としてくれる人がいれば、
よし自分も動こうか(無理せず)となります。
更に泣き顔なんて見せられたらたまったもんじゃありません。

僕の場合、
「こいつ一生賭けて守ったる!」
「え?名古屋?明日仕事?知らねえよ今から行くわ」と次の日が仕事なのに関わらず、深夜に車で友達に会いに東京から名古屋に向かったこともあります。
これらの状況、もちろん鬱の時は無理です。でも躁状態、あるいはフラットな状態だとこれができてしましますし、人と話したいってなるんですよねえ。

少し長くなりましたが、
このように大きな夢(プロ野球選手になるとか総理大臣になる)とかももちろん思いますが、

ある人や組織に対しても全て

「自分がなんとかしてやる!できる!」

と思ってしまうんですね。困ったものです。(ガンジーかよお前!って友達に言われました)

僕は人に言われて初めて気付きました。「人の悩みは根本的に解決できない。」と。

そりゃそうですよね。話を聞くことはできますが、極論それ以上はできないですよね。

パワハラを受けて苦しんでいる人がいて僕は本気でその人の会社にいって、殴り込みに行こうかと考えていました。
だがそれはできず、「傍て支えるよ、逃げないから」と伝えること、覚悟することに落ち着きました。本気で覚悟しましたし、これも本来無理なことですよね。
その人が自分以外の人と海外旅行中に海に溺れたらりしたらすぐに助けに行けません。その時は祈るだけです。でもこれを覚悟するだけでも相当無理をしていたんだと思います。

また話がそれましたが、今まで述べたのは少し危険な一面です。

人生は行きていれば目の前に色々と転がってきます。
楽しそうだなと思うこと、これやったら幸せだろうなと思うこと、守りたいなと思うこと…。

それらのことに対して、何か一つに熱中してしまうのです。

なぜかというと自分が寂しいから、そこで一気に集中して「やること」を見つけ猛進する。
これ冷静に考えれば現実逃避だと思います。

まず本能的に、一時的に集中はできてもそれが続かない。

だからこそできると思ったことも自分の理想通りはできないですよね。

躁鬱病患者である坂口さんも以下のように述べています。

このツイートを見た時にすごくハッとしたのを覚えています。

やっぱりそうだったのだと。

だからこそ、僕たちは何か一つに依存してはそれが崩壊した時に鬱になります。

自分の強い執着心によって崩壊することもしばしばです。

だからこそ、依存先を拡散して様々なことに手をつけることが向いている。
そしてできるのではないかと思っています。

何度も言いますが、「何かできる」を一つに執着すると危険です。

その何かに対しても様々なアイディアが浮かぶのですが突き詰めすぎてしまうと危険なのです。

マルチに、意識を、生きる意味を拡散させる

だから友達も一人じゃだめです。複数持つべきです。

でもそれって普通の人にはできないんじゃ??

今日はここまで。

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