自分には本当に数人であるが、心から信じられ、自分をさらけ出せる友人がいる。
もうこれだけで幸せだし、生きていけるのだが、この話はいづれにしよう。
その中の友人の一人と以前、「理性」と「感情」の話になった。
今日はこの話題について。
彼と自分は(最近は変わってきたかもしれないが)パーソナリティな部分でかなり正反対な部分が多い。だからこそわかりあえるのかもしれない。
こう簡単に人を分類するのはあまり好きではないが、簡潔にまとめると
友人→理性が先行して動く
自分→感情が先行して動く
と言える。
具体的な例を出した方が分かりやすいと思うので、留学する意味について話した時の記憶を遡る。
友人「留学はいつの日か必要になるであろう日のためにする。」
自分「留学は今したいからする。今自分の世界を広げたい。」
こんな会話をした記憶がある。
何かをするのに基本的に理由や利益が必要なのが、友人。一方、何かをするのにロジカルな理由は必要なくその場の感情が満たされればいいのが自分である。
本来、人間は「理性」も「感情」も持っている生き物であるのになぜにここまでの違いが生じるのかを考えてみたがこれと特定できる理由がどうもしっくりこないのが現状だ。そのためつらつらと今思い浮かぶ理由を書き出してみる。
①モチベーションに理由が必要か、必要ではないか
②単純に考える作業が好きか、嫌いか
③先を見るのか、今を見るのか(見えないものを見るのか、見えるものを見るのか)
④人の目を気にするのか、しないのか
⑤そもそも人に感情を見せるのが恥ずかしいか、恥ずかしくないか
もちろん全て前者が友人である。
これらの理由以外に浮かんだら加筆する。
とにもかくにも「理性」と「感情」を持ち合わせて生きている人間は、どちらも上手く使いこなしていかなければいけないのではないだろうか。これらを持つ自分を動かすのが時には理性であるし、感情である。
理性はある程度コントロールできて、感情はコントロールできないというのが自分の見解でもあるが、これは感情先行型の自分だからかもしれない。
ぜひ、次に彼と話す時にはこのポイントを聞いてみたい。
これ以上考えるとややこしくなるので今日はここまで。
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